それでも二人は


眼を開けると、地面と宙の境目すら見分けが付かない程の、そこは真っ白な世界だった。
足元に降り積もった白を、フェイトは拾い上げる。冷たさは感じられない。
―これ、雪じゃないのかな。
霞がかった思考で少し力を籠めると、人工的な白色をした粉が、さらさらと指の隙間から零れ落ちた。
フェイトは玩具のように脆いそれから早々に興味を失う。
ふと前を向くと、白の中に一点の赤がぽつんと灯っている事に気が付いた。
恐らくここから随分と離れた所にあるものだろう、紙の上に絵の具を一滴垂らしてしまったみたいな、それは小さな小さな点だった。
けれど視界が揺らぐほどの強烈な存在感を発する紅に、瞬間、心臓が大きく跳ねる。
そのあまりの衝撃に、フェイトは思わず半歩踏み出してしまった。
―違うよ、そんな訳ない。
ただの紅い点に自分は何をそんなに動揺しているのだろうと、フェイトは失笑したけれど、頬の筋肉は僅かに引き攣るのみ。
どちらにしても、自分の目で確認すれば済む事だ。
魔法を使って飛んで行こうとバルディッシュを取り出そうとしたが、何処にも見当たらない。
込み上げてくる吐き気を唇を噛み締めて堪え、震える足を必死で抑え付けながら、フェイトは仕方なく歩みを進める。
けれど不思議なことに、その紅が近付いている様子は全くない。
じわじわと、周りの白を侵食してその紅は広がっていくというのに、フェイトとの距離は一向に縮まらないのだ。
重い鉛を引き摺るようにしていたフェイトの脚は、今やがむしゃらに前へと駆けているにも関わらず。
―どうして。
呼吸が荒れていくのを自覚しながら、フェイトは頭の片隅でその理由が分かっていた。

あの紅い点は、なのはだ。
傷ついたなのはが、血を流してそこに倒れているのだ。
そして彼女の元へ一刻も早く辿り着きたいと願っているのに、それが叶わないのは。

あの日。
なのはが堕ちたあの日。
フェイトは、なのはの傍にいなかったからだ。

「なのはっ!」
「えっ!?」
覚醒したフェイトが勢い良く上半身を起こすと、吹き飛ばされるようにしてこちらを覗き込んでいたなのはが後ずさった。
反射的に視線で追うと、眼を丸くしたなのはが毛布を胸に握り締め、ベッドの傍らに立っているのが確認できた。
「あ…れ、なのは…?」
「う、うん、なのはだよ」
周囲には見慣れた家具が並んでいる。どうやら自分の部屋のようだ。
いつもと変わらないなのはの穏やかな表情と声に、虚脱感にも似た安堵が全身を包む。
「その格好のままだと風邪ひいちゃうと思って…ごめんね、びっくりした?」
空っぽになったままの脳を回転させて、フェイトは自分の身体を見下ろす。下着姿だった。
どうやら、裸同然の自分を気遣って、毛布を掛けてくれようとしていたらしい。
「…ううん、私こそごめん。寝惚けてたみたい」
「そうみたいだね」
笑みを零すなのはに、フェイトも乾いた微笑を返しながら、眠る前のことをぼんやりと思い出す。
今日は久し振りに二人揃って学校へ行けて、帰りになのはが家に寄って、家には誰も居なくて、それで…。
記憶が確かならば、なのはだって自分と同じような格好でベッドの上にいて然るべきなのに、何故かなのはは中学の制服に身を包んでいる。
「なのは…もう制服着てる」
無意識に拗ねた口調で、そっとスカートの裾を摘むと、彼女は咎めるようにフェイトの指を捕まえた。
人差し指と中指の間をなぞられて、冷たくなったフェイトの手が、温もりを取り戻していく。
その心地良い感触を、永遠に味わっていたいとフェイトは願った。
「この後仕事があるって、言っておいたよね。一回家に帰ってから行こうと思って」
「仕事…」
その言葉に、目覚めてからずっと胸の中で渦を巻いていたものが、きゅっと凝縮される。
気を抜けば簡単に甦る、フェイトの網膜を刺したあの鮮やかな紅が。
「フェイトちゃんは今日お休みでしょ。ゆっくり寝かせてあげた方がいいかなーって。でも、起きちゃったね?」
ころころと笑うなのはの腕を掴んで引き寄せると、なのはは小さく悲鳴を上げた。
フェイトはそのまま自分の胸になのはの額を押し付け、もう片方の腕を腰に回して固定する。
ふざけているのだと思い込んだなのはは篭った笑い声を漏らしながら、じたばたと暴れて腕から逃れようとしたけれど、フェイトはそれを許さなかった。
その力強い意志を感じ取ったなのはがやがて大人しくなると、ようやく後頭部を締め付けていた力が弱まったので、恐る恐るなのははフェイトを見上げる。
「…フェイトちゃん?」
「夢が」
何かが枯渇している。
喘ぐようにして吐き出した言葉は、続かなかった。
それでもなのはは、黙ってフェイトの真意を探ろうとしてくれている。その事にほんの少しだけ勇気付けられて、フェイトは再び口を開く。
「なのはが、怪我した時の…」
「ああ、うん…そっか」
得心がいったとばかりに笑顔で頷くなのは。
フェイトの言葉を受けた刹那浮かんだ複雑な表情を、フェイトは見逃さなかったけれど。
「大丈夫だよ!今日は教導隊のお仕事だもん。危ないことはしないよ」
「…うん、分かってる」
分かっている。
フェイトが不安に思っているのは、今この時だけを指している訳ではないということを。
きっと、なのはだって分かっているんだ。
どうしても彼女の身を自由にする気になれないでいるフェイトに苦笑してから、一つ口付けを落としてなのはは言った。
「もう、あんな風にはならないから」
「絶対に?」
「うん、絶対」
フェイトは知っている。
その言葉は無価値で、こんな約束は無意味なのだということを。
二人は別の人間で、それぞれ別の道を歩んでいて。身に起こり得る全ての事柄は、自分で責任を取らなければいけない。
フェイトはなのはを守りたいと思っているし、無論今後もその気持ちは変わらないだろう。
それでも誰かを守るということには、やはり限界があるのだと、フェイトはあの時知ってしまった。
フェイトが常になのはの傍に身を置くなんて事は不可能で、なのはもそんな事は望んでいない。
―分かっているんだ、そんなこと。だけど。

小刻みに震える身体を気取られぬよう、抱き締める腕に力を籠める。
苦しいだろうに、なのはは微動だにしなかった。
「なのは」
「うん」
「私は、空を飛んでいるなのはが好きなんだよ」
「うん」
「私がずっとなのはを守るから」
「うん、ありがとう」
「お願い。ずっと傍に居て」
「いるよ。フェイトちゃんの傍に、ずっといる」
不安定な想いを隠そうともせず一心不乱に呼びかけるフェイトを、なのはは律儀に受け止める。
抱き締め返されたその力強さに、フェイトは湧き上がる想いを自分の胸に閉じ込めた。

―もう、あんな風にはならないから
怪我の大小に関わらず、なのはは近い内にまた傷つくだろう。フェイトは、その度になのはを守れなかったと悔やむだろう。
―いるよ。フェイトちゃんの傍に、ずっといる
仮にこの先無事に過ごせたとしても、二人が二人として生きていく限り、別れは必ず訪れるものだ。

なのははいつも、平気な顔をして嘘をつく。


後ろ髪を引かれる思いでこちらを振り返るなのはを、もう大丈夫だからと笑顔で見送ってから、フェイトはベッドに寝転んだ。
なのはが残したシーツの跡に頬を寄せて、身体を丸める。じっと目を瞑ると、鼻腔を擽る香りが胸を締め付けた。
『もう、あんな風にはならないから』
『フェイトちゃんの傍に、ずっといる』
なのはが散りばめた偽りの欠片を拾い集めて、脳裏に焼き付いて剥がれない一点の紅が消えるまで、フェイトはそれらを大事に胸の中で暖める。
形のない約束など無意味だと知っていても、どうしても手放す気にはなれないでいる自分が、滑稽で情けなかった。
もう何度実感したのだろう。きっとこれからも、二人はこんな風にしか生きていけないのだということを。
悲しいとも寂しいとも感じていないのに、不思議と零れ落ちる涙は止まらなかった。

―私は、空を飛んでいるなのはが好きなんだよ
―私がずっとなのはを守るから


なのははいつだって嘘つきで。
それはフェイトも変わらなかった。


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